最近抱っこの事で少し気になる事が有るので書いてみたいと思います。
人間はこの世に生まれ落ちた時から、保護者・周りの大人によって保護され、抱っこされて成長していきます。
人間はこの世に生まれでた時、他の動物と異なり、抱っこされ保護されていないと生きて行くことができません。
特に女性には、母性と言うものが備わっているため、抱っこをせがむ子がいると自然に手が出て抱っこしてあげないといられない気持ちにかられます。
しかし反対に、ベテランの保育者の中には、抱き癖が付くからと言って安易に抱っこすることに否定的な人も居ます。
目の前の子どもにどんなタイミングで、どの様な抱っこをするかは、その人の価値観やその時の感情で変わってくる様に思いますが、この抱っこのやり方によって子どものその時の感情は変わり、その後の成長にも影響が出てくる大切な行為であると思います。
それは親と子どもの、保育者と子どもの大切な愛着関係を育む上でとても重要な時である事が分かっていることではありますが、この抱っこのタイミングや長さや方法は全てその人の価値観によって異なり、保育所であるならば園長や目の前の保育者に任されている事が普通である様に思います。
また私たちは、この抱っこと言う行為があまりにも自然な行為であるが故、何も考えずに無意識のうちに行っており、なぜやっているのか?と言うことを何も考えないで行っているように思います。
しかし子供たちは抱っこしてくれる保育者に対して、少なからず何らかの感情を抱きながら抱っこされているに違いありません。
今日はこの保育者が自然に無意識のうちに行う抱っこにより、子供の側が何を感じているかと言う視点に立って、抱っこと言うものを私なりに考えを述べていきたいと思います。
ママが良い!ママに会いたい!と言う時におこなう抱っこ
子供が保育所に入園した時、お母さんから離れて不安な気持ちいっぱいで泣いている子供に対して、1番初めに行う保育者の行為が抱っこではないでしょうか。
乳児であるならば母の胸から引き離され、保育者はそのまま抱っこをします。
そして定番のようにどういうわけか背中をトントンしたり揺すったりして子供の機嫌を取ろうとします。
多くの子供はその保育者の抱っこの行為を受け入れますが、受け入れられず、のけぞって降りようとしたり、入り口の扉に張り付いて泣き続ける子もいます。
これらの子供の反応はそれぞれですが、1つこの場面に共通している子供の感情は、「ママに会いたい!ママと離れるのが嫌だ!と言う心の叫びではないでしょうか?
ではこのような時、私たち保育者が子供の立場に立ってしてあげられる事は何でしょうか?
いやだ!と拒否されていても泣き止むまで抱っこし続けて、子供の悲しいと言う気持ちを他の楽しいこと(おもちゃ等)に気持ちを向けてご機嫌取りをすることでしょうか?
それともママに会えないことを諦める(これから保育所に預けられると言う現実を自ら納得できる様になる時)まで泣かせてあげることでしょうか?
このような場面において、保育者が抱っこするか?しないか?の判断は、保育者のそれぞれの価値観や感情に従って判断することになるのですが、当の抱っこされる子どもはどの様に感じているのでしょうか?
ママに会いたい〜!と言って泣いているのですから、どんなに愛情深い保育者の抱っこであっても、泣き叫んでいるときは決して母の代わりになることはできません。
ですから、保育士に抱かれるのは嫌だ〜!と抵抗している時は、無理矢理抱っこをするのはふさわしい保育の行為であるとは言えないのではないでしょうか?
私はむしろ「泣きたかったら泣きな。」と言うスタンスで泣き疲れておさまるまで泣かせてあげることの方が、子供の立場に立った優しさと言えるのではないかと思っています。
自分の機嫌を自分で取れるようになると言う事
さて、通常保育所は、子供が入園する時慣らし保育と言うものを行いますが、この慣らし保育の主旨とは何でしょうか?
慣らし保育にはいくつかのステップがありますが、まず初めに子どもが乗り越えなければならない重要なステップが、親から離れて保育所で生活することの悲しみを乗り越えると言う、このような強烈なストレスがかかったときに、自分で自分の機嫌を取れるようになると言う事であると言えるかもしれません。
それが保育所で子供が生活していく上で、1番初めにぶつかる試練であり、慣らし保育としての初めのステップなのではないでしょうか?
そして子ども自身が、母がいないことを諦め「母の代わりに近くにいる優しそうな保育者でいいや!」と保育者の抱っこを受け入れること。これが2番目のステップであり、この時初めて保育者と子供との愛着関係がスタートすることになり、これがふさわしい慣らし保育のステップであるのでは無いでしょうか?
しかし1番目のステップを踏まずに、保育者が急いで2番目のステップの慣らし保育を進めてしまうと、子供は母と離れた悲しみを、自らの力で消化させると言うステップを踏める機会を失ってしまうため、子供がその悲しみを消化するためには、常に保育者の胸を借りなければ自分の悲しみの不機嫌さを自分で消化することができなくなってしまいます。
あなたの保育所にも、大きくなってもこんな子いませんか?もしそういう子がいるのであるならば、自分たちの保育所の慣らし保育のあり方を見直してみると良いかもしれません。
気をつけなければならない保育者のこんな抱っこ
私たち保育者は、保育の様々な場面で子供たちを抱っこしますが、この抱っこの意味するところ(抱っこされる子供側が何を感じているか?とか、何のために抱っこをしているのか?など)をよく考えずに抱っこしてしまうと、子供の自立を妨げてしまったり、子供との人間関係を悪くしてしまう場合もあるかも知れないので、これからそんな要注意な抱っこを考えていきたいと思います。
①人さらい抱っこ
これは乳児から2歳児担当の保育者が行いがちな抱っこです。
保育者が自分の保育の都合で、遊んでいる子供に子供の意向も聞かずに、ハイハイしたり歩いたりできるのにもかかわらず、人さらいのようにさっと抱っこして移動させる抱っこです。
オムツを取り替えるとき、食事のために椅子に座らせる時、寝かせる時、危ないと判断した保育者がそこから回避する時などなど、保育の様々な場面でこのような抱っこが普通に行われているのではないでしょうか?
このような抱っこをすると、第一次反抗期が始まっている1歳半ごろからこのようなクラスは荒れはじめます。子供の側からしたら、自分の意思を無視されて強引に抱っこされて移動されるのですから、至極当然のことであると思います。
②太鼓持ち(ご機嫌取り)抱っこ
私は、保育や教育の目指すところは、子供一人ひとりの自立であると思っています。このような観点から保育や教育を捉えていくと、先ほど述べた母と離れて保育所で生活しなければならないと言う悲しい出来事が生じたときに、自分の悲しみの不機嫌と言う機嫌を自分で取れるようになることから始まり、1人で遊べる、1人で食べられる、ひとりで寝られる、1人で歯磨きができる、1人で衣服の脱着ができる、1人でトイレができて1人でふける、集団活動が営めるなどなど、私たち保育者は子供たちのそれぞれの自立を支援することが仕事であるといえます。
保育所では自分で自分のことが全くできない乳児さんから保育が行われることが多いので、それらの子供たちが様々な生活の場面で、自立支援をしていくために抱っこと言う保育の手段を用いるのですが、抱っこすることにより子どもの自立を遅らせてしまう可能性があるならば、ふさわしい抱っこと言えないかもしれません。
私は20年と言う保育所人生の中で、様々な保育者と接し、様々な保育者の抱っこを見てきました。そして自らも保育者の1人として、子供たちに多くの抱っこをしてきましたが、自らの用いる抱っこの力を、子供たちのご機嫌取りに用いるのは、子供の自立を促す観点から見ると、ふさわしくないと思うようになってきました。
保育所では多くの子供たちが集団生活を営んでいますから、様々な出来事が起きます。おもちゃの取り合いで泣く子、転んで泣く子、自分でできなくて泣く子、寝られなくて泣く子などなど、普通に機嫌よく遊んでいるときには何もなくても、何かストレスが加わると「ママ〜!」と泣き始めます。
こんな時保育者は、母親の代わりとなり、抱っこと言う手段でご機嫌取りをすることになるわけですが、保育者はいつもこの抱っこが子供の自立支援になっているのだろうか?と常に自らに問いかけながら抱っこをしていきたいと思います。
ながら抱っこ
この何かをしながら抱っこすると言うながら抱っこは、保育者であるならば少なからず皆経験がある抱っこだと思います。
子供のために満足いくまで抱っこしてあげたい!と思いながらも時間がなくて、ついついながら抱っこをしてしまう人も多くいることでしょう。
ではこのながら抱っこをされている子供はどんなことを感じているのでしょうか?
このことを保育者が感じる上で、もしあなたが(女性保育者)彼氏と抱き合っている時、彼氏が自分を抱きながら片方の手でスマホをいじっていたとしたらどんな気持ちがしますか?と言うちょっと意地悪な質問をすることがあります。こんなことされたらどんな女性だって、不満の気持ちを抱きますよね。
これと同じことを反対の立場で、子どもは不満の気持ちを感じるのではないでしょうか?
子供が抱っこしてほしいと保育者に願っているときは、私だけを愛して!と言う時ではないでしょうか?
子供が抱っこされながら、他のこと例えばパソコンを操作していたり、連絡帳を書いていたり、他の子を寝かしつけたり、コンタクトをとっていたりしていたら、抱っこされている子はいつまでも愛されていると感じる事が出来ず、満足した気持ちにはなれないで、保育者の胸から離れて自ら遊び始める自立の時が遅れてしまうかもしれませんね。
ですから私は、子供が抱っこを望んで自分のところに来る時は、全力で愛を注ぎ子供の願い欲求はその時に満足させてあげる様にしていますし、他の保育者たちにもお願いしているところです。
このような抱っこをすると、子供たちは皆5分もしないうちに自分の胸から巣立っていくようです。
かまってちゃん抱っこ
ながら抱っこの中に、かまってちゃん抱っこというのがあります。この抱っこは先程の太鼓持ち抱っことリンクする抱っこで、私はヘイ!タクシー抱っことも呼んでいます。
子供は保育生活の中で、自分の欲求が満足できないと、自分をもっとかまって!と言う気持ちになり、自分のことをかまってくれる保育士を探して、抱っこして〜!といってきます。
そしてさらに、立って抱っこして〜!あそこまで連れてって〜!あれを見させて〜触らせて〜!と言う要求をしてきます。
これを私は、へイ!タクシー抱っこと名付けています。
保育者が子供のご機嫌取りをするために、抱っこをしては言われた通りに、はいはいと言ってタクシーの様に子供の言いなりになって抱っこし続けている。こんな光景見ることありますか?
このような保育をしている保育者は、そのうち疲れて下ろそうとすると泣かれてしまい、1人にばっかり抱っこしていられないと思いおんぶに切り替えたり、抱っこしながら他の仕事を並行して行いながら抱っこになる・・・ながら抱っこになるといつまでたっても子供は満足できず、抱っこから降りて自分で遊び始めるタイミングが遅れてしまう。
抱き癖がつくから~
あなたは、「抱き癖がつくからいつまでも抱っこしていないで早く下ろしなさい」という言葉を先輩保育者から言われたことがあるでしょうか?
一般的にこのようなことを言う保育者は、昔ながらのベテラン保育者であり、自らの経験からいつまでも抱っこし続けていると、甘えん坊な子に育ってしまうから抱っこはほどほどにしなさい。と注意してくれているのですが、最近の保育の考え方は、子供と保育者との愛着関係が、子供の人格形成に最も重要なことであると言われてきたため、このような考えを持つ保育者とベテランの保育者とのあいだには、抱っこに対する価値観の違いが対峙してきているように思います。
このような新旧の保育者の保育観の違いにより保育所の保育は、この抱っこに関する保育1つとっても担任の価値観に任されているところも多く、それぞれの学年の価値観が異なってしまうため、全学年の一貫性が欠けている園も少なく無いように思います。
では、保育所における抱っこはどのように考え、子供の自立成長を促していく上でどのように実践していくことが望ましいのでしょうか?
気が済むまで抱っこ
ともあれ、私たちは保育中に子供たちを幾度となく抱っこし、その抱っこが子供の心を癒し、励まし、彼らの自己肯定感を育み、自立成長していく上で欠かすことのできない行為である事は皆自覚しておられることであると思います。
私たちはこの抱っこを日々用いて子供を育て、育んでいるわけですが、皆さんはこの育むと言う言葉の語源が、羽包むと言う言葉であることをご存知でしょうか?羽包むとは、親鳥がまだ巣から飛び立つことのできない生まれたばかりの雛鳥達を、自らの羽根で包んでいる様子・・・その様子が語源となっていたと言うことです。
この語源から、子供を育むと言う言葉を理解すると、親鳥が自らの羽で包む行為、まさに保育者の抱っこが子供を育むことそのものであると言えるかもしれません。
私たち保育者のこの抱っこという行為は、日ごろの保育の中でごく自然に無意識のうちに行われていることが多いですが、抱っこと言うその行為そのものに、子どもの自己肯定感を育てるものすごい力があり、影響力のある行為であることをしっかり自覚して保育していきたい!と思います。
ですから、抱き癖がつくからなどと言ってケチ臭い事言って出し惜しみすることもなく、子供が抱っこしてほしいと言ってきたら、自分で持てる最高の愛を込めて抱っこしてあげたいと思います。
ながら抱っこやご機嫌取りの抱っこではなく、ただただあなたのことが大好きだから抱っこしているんだよ!と言う思いが子供に伝わるようにして、子供が100%満足できる抱っこをしていきたいと思います。
そんな抱っこ一つ一つが子供の自立成長に寄与する事と固く信じつつ、今日もそしてこれからも、自分の胸を貸し続けていきたいと思います。