暑かった夏が終わり、保育園関係者の皆さんには、この夏に起きた園バスの置き去り事故が、また今年も起きてしまった事に心を痛めておられることと思います。
新聞やテレビでの報道だけにとどまらず、SNSでもその波紋はどんどん広がりつつあります。

そこで今日は、前回とはまた違った脳の思考の観点から、園バスの置き去り事故を考えていきたいと思います。

保育所におけるヒヤリハットの見方を考える

さて保育所での事故だけでなく、一般的な事故のことを考える上でよく話題に出てくるのが、ヒヤリハットの法則と言われているハインリッヒの法則があります。
この法則は、1つの重大事故(今回のような痛ましい死亡事故)の陰には、29の小さな事故があり、さらにその陰には300のヒヤッとしたりハッとしたりするような事象があると言うことから、1:29:300の法則とも言われています。

と言う事は、今回のような痛ましい事故が起きた陰には、以前に29の小さな事故があり、その陰には300のヒヤリハットがあったに違いない!と言うことが窺われます。

私たち保育所は、日頃より子どもと生活を共にしているわけですから、めったに大きな事故は無いまでも、小さな事故やヒヤリハットの事象は数多く経験していることと思います。

子どもが遊んでいる時の転倒・転落事故・噛みつきひっかき事故は、日常のように目にして起きている事象となるわけですが、この日常の出来事(ヒヤリハット)をどう見るか?と言う点が保育所の様々な事故を減らしていくために、大きなポイントと言えるのではないかと思っています。

ここでこのヒヤリハットの法則を考えていく上で、ちょっと違った見方をしてみたいと思います。このヒヤッとしたり、ハッとするとは何でしょうか?これは人の感覚、感じ方といえます。そしてこの感じ方は、実は人によって全然異なる感覚といえます。

1つの事象に対してのその感じ方は、全く人それぞれで、例えば0歳時クラスの子がベビーチェアーに立った時、ヒヤッ!(危ない!)と思う保育士もいれば、まだ大丈夫かな?倒れたときのために一応近くまで寄っておこう!と思う保育士もいます。

前者はヒヤッ!としたので、ヒヤリハットは1カウントですが、後者は0カウントと言うことになります。
「え?ヒヤリハットってそういうことじゃないでしょう?」と突っ込まれる方もおられるかもしれませんが、私のこのヒヤリハットの見方はあながち間違いではないと思っています。

「意識の密度は現象の頻度となる」と言うちょっと不思議な現象が世の中にはありますが、あなたはみんなが「危ない!危ない!怖い!怖い!」と思っているとそんな現象が起こる、と言う事例を経験した事はありますか?
私はよくありますよ!

保育所でよく起きる噛みつき・引っ掻き事故などはその良い例で、噛み付きクセのある子が登園してくると、周りの保育士さんがピリピリして気をつければ気をつけるほど、その子の周りだけでなく他の所でも噛みつき事故が多発してしまう、ヒヤリハットのオンパレードなんて言う日を経験したことがあるのではないでしょうか?

この様なちょっと不思議な日の見えない力のことを考えてみると、保育者のヒヤリハットを感じるその感じ方が、事故の頻度に関係があるのかも知れない・・・と思えてくるのです。

保育者の意識の問題を考える

ではこれとは反対に、保育者の危機意識が薄くなって鈍感になった時、油断したときに思わぬ事故を経験されたこともあるのではないでしょうか?

今回のような重大事故は、保育者の油断によって、しかるべき人数確認をしなかったために生じた痛ましい事故と言えるでしょう。
油断したとは、日常のヒヤリハットや小さな事故に鈍感になってしまったことの表れであり、一つ一つのヒヤリハットや小さな事故により安全保育の改善をはからなかった事の高慢さの結果と言えるのかも知れません。

ですから私たちは、私たちの心に潜む高慢さから来る油断や、「いつもと同じだから大丈夫だろう!」と言う気の緩みには常に注意を払わなければなりません。

なぜ最高責任者が事故を起こしたのか

私が思うに、今回のような事故が生じた1つの要因は、運転者が園における最高の責任者であったことではないかと思っています。一般的に園の最高責任者と言う人は、その役割に就く人は鈍感な性格である傾向があります。物事を広い視野で見ることができる特質の人であるが故に園長(経営者)となり得た訳で、更に最高責任者と言う役割についたが故に、鈍感な特質になってきたとも言えるかも知れません。

前年と今年の夏に起きたこの重大事故が、双方とも運転者がその園の最高責任者であったと言う事は、偶然の一致なのでしょうか?
またそれが故に、同乗していた保育士も「最高責任者が最終チェックをしてくれたであろう!責任をとってくれるだろう!」と言う気の緩みや油断が二重に重なり合い、かつヒヤリハットの法則の、その頻度と全てが重なり合ったときに生じた悲劇の事象になってしまったのではないかと思えます。

私は、この夏の園バスの置き去り事故を通して得られた教訓は、危険回避を気にし過ぎて安全対策に過敏になりすぎることでもなく、反対に安全対策に気を止めず高慢になって鈍感になりすぎることでもない、どちらに偏ることでも無い中庸にあると考えます。

子どもをどう見守っていくか

では私たち保育者は、日々の保育の中で子どもたちをどのように見守っていかなければならないでしょうか?
私は子どもを見守る上で、この中庸と言う観点から、危険に対する見方のバランスを取る事がとても重要なポイントであるように思います。

当保育所Agape八幡山園の保育は、子ども達を見守る上でこの中庸の保育に心がけています。
全体を見守る係の保育士(人数把握など安全に配慮する係)は常に全体を把握し、人数も確認しながら子どもたちの安全と満足を見守り、反対に子どもの必要を顧みる係の保育士は、穏やかに子どもの側で子どもを受け入れ、心に寄り添う役割を担う保育に心がけています。
そしてそれを野外で行う場合は、その2人の係りが離れていても、常にトランシーバーで連絡を取り合いながらバランスを取る保育を行っています。

現在、私の保育所が行っている保育は、保育所保育を行なっていた保育士により生まれた保育ではなく、元は子どものアウトドアを行っていた私が、後に保育士となりあみ出した保育なので、なかなか一般的には受け入れられない非常識な保育の形態であると思います。


しかし私は、この保育の形態が、子どもの安全管理上非常に有効で、かつ保育士の最低基準にも適応でき、今の保育所保育指針も合致した、最も有効な保育形態であると実感しています。