はじめに

近年、「主体性保育」という言葉を耳にする機会が増えました。

しかし私は、その言葉が広まる一方で、本来の意味が少しずつ曖昧になっているようにも感じています。

「主体性をどう育てるのか。」

「主体性保育とは何をする保育なのか。」

そのような質問をいただくことも少なくありません。

私は24年間、保育現場で子どもたちと向き合い続ける中で、一つの確信を持つようになりました。

主体性保育の要は、1歳児にあります。

そしてもう一つ。

主体性は育てるものではありません。

子どもは、生まれた時から主体的な存在だからです。

・子どもは生まれながらに主体的である

赤ちゃんは誰かに教わって泣くわけではありません。

お腹が空けば泣く。

眠ければ眠る。

抱っこしてほしければ手を伸ばす。

興味があれば触ろうとする。

子どもは生まれながらに、

「自分の願い」を持ち、それを表現しながら生きています。

つまり主体性とは、

大人が与えるものではなく、

もともと備わっている力なのです。

・主体性保育の分岐点は1歳児

1歳半頃になると、

子どもは急激に自我を表現し始めます。

「イヤ!」

「自分でやる!」

「まだ遊ぶ!」

一般的には「イヤイヤ期」と呼ばれる時期です。

しかし私は、

この時期を

人生のハンドルを初めて握ろうとする時期

だと考えています。

子どもは反抗しているのではありません。

「私は私なんだ」

という存在を築こうとしているのです。

だから私は、

主体性保育の土台は1歳児で決まると思っています。

・大人はなぜ主体性を止めたくなるのか

しかし、

この姿を見た大人は不安になります。

「このままではわがままになる。」

「今のうちに教えなければ。」

「ちゃんとしつけないと。」

その気持ちはとてもよく分かります。

親も保育士も、

子どもを大切に思っているからです。

だからこそ私は、

もう一つ大切にしている言葉があります。

子どもの育つ力を信じること。

主体性保育は、

子どもをコントロールする保育ではありません。

子どもの育つ力を信頼する保育なのです。

・成長とは体験の副産物である

私は24年間、

自然の中で子どもと過ごすアウトドア保育を実践してきました。

子どもたちは、

転び、

泥だらけになり、

虫を触り、

木に登り、

川へ入り、

失敗を繰り返します。

もちろん保育士は見守ります。

しかし、

必要以上には介入しません。

なぜなら私は、

成長とは体験の副産物

だと思っているからです。

教えられたことより、

自分で体験したことの方が、

子どもの中に深く残ります。

・リスクゼロは成長ゼロなのかもしれない

現代は、

リスクをなくすことが正義になっています。

転ばせない。

失敗させない。

困らせない。

傷つけない。

もちろん安全は大切です。

しかし、

転ばなかった子は、

転び方を知りません。

失敗しなかった子は、

立ち直り方を知りません。

困らなかった子は、

工夫する力を知りません。

人生を生きる力は、

人生を体験することでしか育たないのです。

・保育士の役割は「管理」ではなく「保障」

私は、

保育士の仕事は管理ではないと思っています。

子どもを思い通りに育てることでもありません。

保育士の仕事とは、

子どもが人生を体験する権利を守ること。

危険をゼロにすることではなく、

安心して体験できる環境をつくること。

これこそが、

本当の意味での

「守る保育」

なのではないでしょうか。

・主体性保育とは何か

24年間の保育実践を通して、

私はたくさんの卒園生を見てきました。

のびのび育った子どもたちは、

自分で考え、

自分で決め、

自分で責任を引き受けられる人へと成長していきます。

だから私は、

主体性保育をこう定義しています。

主体性保育とは、子どもを育てようとする保育ではない。

子どもが自ら育つことを邪魔しない保育である。

そして、

その原点こそが1歳児なのです。

まとめ|教えるな。信じろ。体験が子どもを育てる

教育とは、

知識を教えることだけではありません。

保育とは、

子どもを思い通りにすることでもありません。

教育とは、

子どもが体験から学ぶ力を信じること。

保育とは、

子どもが自分自身を生きることを支える営み。

だから私は、

今日も伝え続けます。

教えるな。信じろ。

体験が子どもを育てる。

これが、私が24年間の保育実践から辿り着いた答えです。