止めることと守ることは同じですか?
はじめに
私は長年、保育の現場で子どもたちと向き合う中で、自分自身に問い続けてきたことがあります。
それは、
「私は本当に子どもを守っているのだろうか」
という問いです。
子ども同士のトラブルが起きた時、私たち保育士はまず子どもを止めようとします。
叩いたら止める。
噛みついたら止める。
押したら止める。
もちろん、安全を守ることは大切です。
怪我を防ぐことも保育士として重要な役割です。
しかし私は、ある時から考えるようになりました。
「止めること」と「守ること」は、本当に同じなのだろうか。
多くの保育士が子どもを止めてしまう理由
実は、多くの保育士が子どもの行動を止める背景には、
- 保護者対応
- 園としての責任
- 事故への不安
- 怪我への恐れ
があります。
私自身もその現実をよく知っています。
だから私は、
「子どもを止める保育士が間違っている」
と言いたいわけではありません。
私も同じように悩み、迷いながら保育をしてきた一人だからです。
子どもの行動の奥には必ず願いがある
子どもが友達を叩いた時、
私たちはつい
「叩いた」という行動
に目を向けます。
しかし、その奥には必ず理由があります。
- 悔しかった
- 嫌だった
- 悲しかった
- 思い通りにならなかった
乳幼児はまだ十分に言葉を持っていません。
だから、
叩くこと
噛みつくこと
引っ掻くこと
もまた、自分の思いを表現する一つの方法なのです。
行動ではなく心を見る
私はこのことに気づいてから、
行動だけを見るのではなく、
その奥にある心を見るようになりました。
だから私は、
「叩いちゃったね」
「嫌だったんだね」
「悔しかったのかな」
という言葉を大切にしています。
特別な技術ではありません。
でも、このように気持ちを受け止めてもらうことで、
子どもは少しずつ自分の感情を表現できるようになります。
そして、
自分の気持ちと向き合う力
を育んでいくのです。
私は放任を勧めているのではありません
ここで誤解してほしくないことがあります。
私は、
「好きなようにさせればいい」
と言っているのではありません。
むしろ逆です。
私は、
「守り抜け」
と言っているのです。
守るべきは誰か
私はよくこう伝えています。
叩く子を止めるのではなく、
叩かれる子を守る。
叩かれる子を守る。
噛まれる子を守る。
怪我を防ぐ。
安全を守る。
そして同時に、
叩いた子の心も守る。
噛みついた子の心も守る。
それが保育士の役割ではないでしょうか。
本当に守るとは心を守ること
行動は止めることができます。
しかし、
行動を止めることと、
心を守ることは違います。
本当に守るとは、
体だけでなく
心も守ること。
私はそう考えています。
理論を現場の言葉に翻訳する
私は大学教授ではありません。
現場の叩き上げです。
理論を語ることが目的ではありません。
理論を現場で使える技術に翻訳すること。
それが私の役割だと思っています。
だから私は、
「主体性の保障」
という言葉よりも、
「嫌だったんだね」
「悔しかったんだね」
という言葉を大切にしています。
子どもファーストの保育が目指す未来
保育は理論だけでは変わりません。
保育士一人ひとりの関わりが変わることで、
初めて子どもが変わります。
そして私は、
その先にいる子どもたちの未来を見ています。
- 自分の気持ちを出せる子
- 自分の機嫌を自分で取れる子
- 自分を大切にできる子
そんな子どもたちが育つことが、
幸せな人生につながると信じています。
まとめ|私は今日も問い続ける
私はこれからも問い続けます。
「私は本当に子どもを守っているのだろうか」
止めることと守ることは同じなのか。
その問いを持ち続けることが、
子どもファーストの保育につながると信じています。
そして私はこれからも、
保育所保育指針を土台に、
子どもたちの心を守る保育を伝え続けていきたいと思います。
