2018年新しい保育所保育指針が改定され早4年が経ち、その中の1つの主題とも言える主体性保育と言う言葉が歩き始め、様々な書籍や研修会で解説され先進的な保育所はそれぞれの考えのもとに主体性保育を進めています。
そこで今回は、『主体性保育』とはどの様な保育で、どの様に進めていったらよいか?を共に考えていきたいと思います。
『主体性保育』と言う言葉は、保育所保育指針にどの様に書かれているか?
さて、まず私たち保育者は、この『主体性保育』の『主体性』と言う言葉の意味を正しく理解し保育をしているのでしょうか?
保育所保育指針の中に主体性と言う言葉は、どの様に使われているでしょうか?
多くの研究者・保育所がその主体性保育の意義や保育方法を論じ、様々な書籍や研修会で紹介されていますが、先ずは原点に帰って保育所保育指針より『主体性』と言う言葉を拾ってみたいと思います。
すると・・・保育所保育指針には、『主体性保育』と言う言葉も『主体性』と言う言葉のいずれも出て来ませんでした。
おや?自分でもビックリしたのですが、出てきたのは、『主体として』と言う言葉が3箇所、『主体的』と言う言葉が7箇所だけでした。
その中で、最も多い用い方が『子どもの主体的な活動』と言う言葉でした。
そして『子どもの主体的な活動』に続く言葉が、『〜を大切にする』『〜が出来る様にする』『〜を展開する』『〜を促す』等の前向きに促進していく言葉が続いている事が分かりました。
ですから私達保育者は、子どもの主体的な活動を促進する役割を担っている事が分かる訳ですが、この『子どもの主体的な活動』とはどう言う活動の事を言うのでしょうか?
これを考える上で、まず考えなければならないのは、この『主体的』と言う言葉の意味するところとなります。
保育者の中には、『主体的』と『自主的』と言う言葉を取り違えている人もいるので、確認した上で話を進めて行きたいと思います。
“決められた枠の無い中で自分の意思を決定行動していく事“
“決められたテーマの中で発揮されるやりたいと言う主張“
この両者の間には、決められた枠があるか?ないか?と言う条件下のもとで発揮される特質であることがわかる訳ですが、多くの場合この主体性と言う言葉が自主性という言葉と勘違いされて理解されていることが実際にあることが分かったのです。
子どもにとってどちらとも大切な特質なので、間違っていることが悪いと言うことでは無いのですが、意味を履き違えると子どもに対する保育者の関わりが、180度変わってしまう場合もあるので注意が必要であると思います。
例えば、何人かの子どもが主体的な集団遊びを始めている時に、保育者が他の遊びを楽しんでいた子対して、『主体的な活動を援助するとはどう言う援助か?』と問われた時、どの様な援助をすれば良いでしょうか?
この時、もしその保育者が先の集団遊びに、他の遊びを楽しんでいた子に対して、集団遊びに入る事をその子が納得する様に促したとしたら、主体的な活動の援助をしたと言えるでしょうか?
この場合、『主体的な活動の援助していた』と答えたならば不正解となり、主体的ではなく自主的と言う言葉に置き換えて『自主的な活動の援助をしていた』と答えたならば正確となります。
なんだかとてもややこしい表現となっていますが、主体性と言う言葉を字義的に正確に捉えるとこのような理解となるのではないか?と思うのですが、多くの保育者は、この保育者の自主性を促す援助を『主体的な活動を促す援助をしている』と勘違いしている保育者が多いのでは無いか?と思うのです。
主体性という特質は、伸ばしたり育てたりするものなのでしょうか?
次に主体性保育を考えていく上で、私たち保育者が自然に使っている、「主体性を伸ばす」とか「主体性を育てる」と言う言葉の表現について考えて行きたいと思います。
私たち保育者はこの点を考えていく上で、そもそもこの主体性と言う特質は、人間が生まれながらにして誰でも赤ちゃんの時から、もともと備わって生まれて来ているのではないか?と言う点を思いに留める必要があると思います、
生まれたばかりの赤ちゃんは主体性の塊です❗️おっぱい飲みたい!ねんねしたい!抱っこしてほしい!うんちが出て気持ち悪い!などなどその気持ちを泣くと言う行為によって発信します。
今日はお母さんが寝られなくてかわいそうだからと、お腹が空いていても朝まで我慢しよう!などと言う赤ちゃんはいません。
本能丸出し、主体性丸出しです。
その後もう少し成長して、寝返りを打つ、はいはいをする、つかまり立ち、つたえ歩きをする、自立歩行して興味のあるところへ出かけて行く、出かけた先でおもちゃなどをペロペロ舐める、などなど親や周りがあれしな!これしな!と言わなくても、赤ちゃんは主体的に動き回り遊びまわります。
今日はちょっと気分が乗らないから、はいはいするのやめようか!とか、歩くのやめようか?などと考え行動する赤ちゃんはいません。
赤ちゃんは、大人達が主体性を伸ばそう!育てよう!などとしなくても、自然に勝手に本能のままに主体的な行動をとり成長しているのではないでしょうか?
ではなぜ、生まれながらにして持っている主体性と言う素晴らしい特質が年齢とともになくなってしまい、改めて伸ばしたり、育んだりしなければならないのでしょうか?
答えは簡単ですよね!
赤ちゃんが本来持っている主体性の芽を、誰かが摘んだり潰してしまっているからに違いありません
私たち保育者は、一度摘んだり潰してしまって出なくなってしまった主体性の芽を、改めて伸ばすとか、育てると言う教育(保育)をしている事になるのです。
ですから私は、本来赤ちゃんが生まれながらに持っている主体性と言う素晴らしい特質を摘まなければ、自然にそのまま素直に伸びていくのではないかと思うのです。
主体性とやりたい放題は違うものなのでしょうか?
私は、主体性を論じる専門家の方たちの中に、主体性とやりたい放題は違うと言う考えがある事を耳にします。
私たち現場の保育者が、今まで行ってきた一斉保育から、3歳児になって主体性保育に切り替えた時、タガが外れた様に子ども達がやりたい放題を行なってしまい、収集がつかなくなりどうして良いかわからず戸惑っていると言う訴えに対して、専門家達は主体性保育を、保育者が行う意図的な保育の環境構成により子ども達の主体性を促していく保育であると論じます。
しかし私は、主体性の保育とやりたい放題は、子ども目線で見た時、殆ど何も変わらないものであると思っています。
私達が主体性保育を進めていく時、その対象年齢は3歳児以降に向けられていますが、私は子どもの主体性の鍵となる年齢は1歳児であると考えています。
先ほど生まれたばかりの赤ちゃんは、主体性の塊である❗️と書きましたが、私は主体性の正体と言うのは、自我であり、本能で有り、やりたい放題であると考えています。
周りの大人たちは、子どもたちの成長を喜び、愛するが故に子どもの様々な欲求を満たしてあげますが、1歳半を過ぎた頃(第一次反抗期)から子どもに自我が芽生え始め、それらの欲求は反発となり、食べたくない❗️寝たくない❗️おむつ取り替えたくない❗️母の愛情表現を素直に受け入れたくない❗️と、周りの大人からは望ましくない自我を出し始めます。
そんな時、周りの大人たちはどうするでしょうか?我がまま・やりたい放題の行為を、ルールを作り大人の圧力で封じ込めようとするかも知れません。
また、子どもの心をコントロールするのが上手い大人たちは、子どもの心を賞賛によってその気にさせ、我慢をさせる事により、我がままややりたい放題の芽を摘んでしまっているかも知れません。
保育所によっては、子どもたちの生活リズムをつけると言う観点から一律の午睡をさせ、嫌いなものでも口に入れ、トイレトレーニングをさせると言う保育を当たり前のように進めているところもあります。
また、安全を守ると言う観点から、危険なことを避けさせるため、部屋で走ってはいけない❗️高いところに登ってはいけない❗️飛び降りてはいけない❗️危ないからやってはいけないと言って、ルールを作りがんじがらめにして子どもの本能から出るやりたいと言う気持ちの芽を摘んでしまっているところもあります。
このような保育所では、特に1歳児クラスの時に、生活リズムや安全確保と言う観点から、子どもの本能である我儘・危険・やりたい放題を悪いことと見て、しない・させない保育をしているところもあるようです。
その結果、主体性の芽は摘まれ、伸びなくなると言う大きな代償を払い、先生の言うことをよく聞くいい子ちゃんが出来上がっていく・・・
そして主体性の芽を摘まれてしまった子どもに、改めて3歳児ごろから主体性を伸ばす保育をしなければならなくなっている・・・
もちろん、この様な保育が全ての保育所の実態であると言うものではなく、子ども主体の保育を積極的に取り組んでおられる保育所も多く有りますので盲信はされないで頂きたいと思います。
しかしこんな主体性保育の実態は、こんな日本の今の保育事情を反映しているように思えてならないのです。
マズローの5段階欲求から見た主体性保育の考え方
さてここで私達は、この主体性保育を進めていく上で、『マズローの5段階欲求』という理論を考慮しておく必要があると思います。
何故ならば、マズローの示す最高位の欲求である『自己実現欲求』こそが『主体性』の示す欲求そのものであるからです。
以下マズローの5段階欲求を解説していきます
マズローの法則(欲求5段階説)とは、人間の「欲求」には5つの段階があるとする心理学理論で、承認欲求のほか、自己実現したい、安全に暮らしたいという人間の欲求は、5段階のピラミッドのように構成されているとする心理学理論です。
アメリカの心理学者、アブラハム・マズロー(1908~1970)が考案したもので、「マズローの欲求五段階説」「自己実現理論」などと呼ばれることもあります。
マズローの法則によれば、人間の欲求には「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求(所属と愛の欲求)」「承認欲求」「自己実現の欲求」の5段階があります。
そして、これら5つの欲求にはピラミッド状の序列があり、低次の欲求が満たされるごとに、もう1つ上の欲求をもつようになるのです。
5つのうち最も低次な欲求は「生理的欲求」。つまり、空腹を満たすなど、最低限生命を維持したいというものです。
無人島に流れ着いたと仮定してみてください。何もない無人島で、あなたはさまざまなものを欲求するはずです。空腹を満たすための食べ物も欲しいし、安全に暮らせる家も欲しいし、話し相手になってくれる友達も欲しい、と思うでしょう。
しかし、最初に心配する問題は何でしょうか? きっと「食べ物」であるはず。食べ物を確保できなければ、すぐに飢えて死んでしまうからです。家や友達がなくてもしばらく死ぬことはありませんが、食べ物は、生命の維持に直結する最も基本的なものですからね。空腹が満たされた後で初めて、「家を造ろう」(安全の欲求)、「ほかに仲間がいないか探そう」(社会的欲求)など、次の段階の欲求へと進んでいくことができます。
生理的欲求
ピラミッドの一番下の段にあたる、最も基本的な欲求が「生理的欲求」です。生理的欲求は、生命活動を維持するために不可欠な、必要最低限の欲求を指します。いわゆる「3大欲求」(食欲・睡眠欲・性欲)のほか、呼吸をしたい、排せつをしたい、水を飲みたいなどの欲求も、生理的欲求に該当します。
私たちがより高次の欲求に進むためには、まずはこの生理的欲求が満たされていることが大前提となります。たとえば、いくら映画が観たいと思っていても、トイレを我慢していてはそれどころでなくなってしまうはずです。また、いくら勉強したいと思っても、腹ペコの状態ではまともに集中できないでしょう。
生理的欲求は、欲求のピラミッドにおける土台であり、いち生物としての人間がまず最初に抱く、欲求の出発点なのです。
安全の欲求
生理的欲求が満たされたら、次に問題になるのは「安全の欲求」です。安全の欲求とは、身体的に安全で、かつ経済的にも安定した環境で暮らしたいという欲求を指します。
たとえば、紛争地域など、いつ殺されてしまうかわからない環境に置かれたら、今すぐ逃げ出したいと思いますよね。また、経済的に不安定で明日の生活さえままならなかったり、病気でいつも体調が悪かったりしても、生活の快適さは損なわれてしまいます。
このように、いつ生活が脅かされるかわからない不安定な状態を脱し、少しでも秩序のある、安心できる環境で暮らしたいという欲求が、安全の欲求と呼ばれるものなのです。
社会的欲求
社会的欲求とは、家族や組織など、何らかの社会集団に所属して安心感を得たいという欲求を指します。所属と愛の欲求と呼ばれることもあります。
生理的欲求・安全の欲求が満たされていたとしても、話し相手がなく、自分を受け入れてくれる人もいないような孤独な生活では、とても寂しい思いをするはず。こうした「どこにも所属していない」という寂しさこそが、まさに社会的欲求が充足していない状態にあたります。私たちが健やかに日々を暮らしていくためには、物質的満足だけでなく、自分を受け入れてくれる親密な他者の存在が不可欠であり、子どもであるならば愛されたい!抱っこされたい!見守られたい!という愛の欲求と言うことです。
承認欲求
何らかの社会集団に所属し、社会的欲求が満たされていたとしても、まだ次のレベルの欲求が現れます。「承認欲求」です。承認欲求は、単に集団に所属するだけでなく、所属する集団の中で高く評価されたい、自分の能力を認められたい、という欲求です。
学校に通っていれば社会的欲求は満たされますが、学校で友だちがいなかったり、いじめを受けていたりすれば、承認の欲求が満たされないためにとても悲しい思いをしてしまいますよね。仕事で実績を評価されたいと望むことや、SNSで自分の投稿に「いいね!」をつけてほしいと思う気持ちなども、承認の欲求に該当するものです。
承認の欲求は、さらに「低位の承認欲求」と「高位の承認欲求」に分類されます。
「低位の承認欲求」とは、他人に注目されたり、賞賛されたりすることを求める欲求のこと。いわば「誰かに褒められたい」という気持ちにあたります。承認欲求と聞いて私たちが真っ先に思い浮かべるようなタイプの欲求がこれです。自分で作った料理をSNSに投稿するのは、他人からの「いいね!」が欲しいという「低位の承認欲求」の一例と言えるでしょう。
子どもであるならば、お母さんや保育士さんに褒められたい時、『見て!見て〜❗️』と言ってくる時がそのような時と言えるでしょう。
一方、「高位の承認欲求」では、他人にどう見られるかではなく、自分が自分を承認できるかどうかが問題になります。SNSに投稿するためではなく、あくまで自分のなかの喜びや達成感にしたがって料理を楽しんでいるような状態です。「高位の承認欲求」は、他者依存的な評価軸から自立し、あくまで自分の中で立てた基準や目標にしたがった欲求というわけです。
自己実現の欲求
以上1~4のすべての欲求が満たされると、最後に残るのが「自己実現の欲求」です。自己実現の欲求とは、自分にしかできないことを成し遂げたい、自分らしく生きていきたいという欲求を指します。
これぞまさに『主体性』の表れと言えます。
子どもであるならば、友達がやっている遊びとは違った遊びを自ら発信したり、自分達だけの秘密基地を作ったりと言う遊びが良い例かも知れません。
大人になってからは、「歌手になりたい」「起業したい」「北欧に暮らしたい」など、多くの人は何らかの「理想的自己イメージ」(夢)をもっているはず。そして、その「理想的自己イメージ」と現在の自分が一致していないときは、少しでも理想に近づきたいという欲求が生まれることになります。
たとえば、いくら会社で仕事ぶりが評価され、承認欲求が満たされているとしても、その人が本当は「歌手になりたい」という夢を捨てきれずにいるのだとしたら。どうでしょうか。理想と現実のギャップに悩み、どこか満足しきれないものを感じてしまうでしょう。
私たちの欲求が完全に満たされるには、社会的に成功するだけでなく、「理想的自己イメージ」との同一化を目指す=自己実現を果たす必要があるのです。
以上がマズローの5段階欲求の説明となりますが、これを理解した上で私たち保育者は、この人間の深層心理をどのように保育に当てはめていったら良いでしょうか?
このマズローの5段階欲求の内の、最高位の自己実現欲求こそが人の持つ主体性と言うことができるわけですが、このマズローの5段階欲求は、1番初めに述べました様に、低次の欲求が満たされるごとに、もう1つ上の欲求をもつようになると言う特徴です。
ですから私達保育者は、子ども達の一番下の生理的欲求から順番に、安全欲求を、愛情欲求を、承認欲求を満たして行かなければ、1番最高位の自己実現欲求(主体性)まではたどりつかないと言うことになるわけです。
ですから私達保育者は、主体性保育の環境構成等を考える前に、子どもを取り巻く環境が一番下の生理的欲求から順番に、安全欲求→愛情欲求→承認欲求と満たされているか?と言う点を考慮しなければいけない事が分かると思います。
主体的な活動を促す3つの条件
では次に、私たち保育者が子ども達の主体的な活動を促したいくために、3つの必要な条件を考えていきたいと思います。
子どもに自由な時間と空間を与える
先ず、子どもの主体的な活動を促していく上で、欠かす事が出来ない条件が『自由な時間と空間』と言えます。
子どもの遊びは、自由でなければ遊びにならず、自由な時間や空間が確保されない状態では、子どもの心の満足感を得る事は出来ないと思います。
旧来の保育所が行ってきた一斉保育は、この主体性保育の考え方とは相反する保育ですので、自分達の行っている保育の形態が子ども主体の方向に向いていないのであるならば、子ども主体の意識を保育者達の中に入れるところから始めなければならないかも知れません。
また、保育所の一日の決められた伝統的なスケジュールの中に、子ども達一人一人の自由な時間や場所を組み入れてあげる事に、著しく難しさを感じている保育所もあるかも知れません。
しかし、子ども主体の保育を考えていく為には、子ども達一人一人が楽しいと思えた遊びを、時間の制約や場所の制約を受けずにじっくり自由に遊び込める環境を作ってあげなければならないと思います。
これが、主体性保育を進めていく上での基本的な条件の1つ目(保育士の姿勢)と言えます。
魅力的な環境を構成する
そして次にくる2つ目の条件が『魅力的な遊び環境』と言えます。
これが保育所保育指針が示す、保育者が行う環境構成といえますが、保育所保育指針によると、保育者が構成する環境には、人的環境・物的環境・社会的環境の3つがあり、最も影響の大きい環境が人的環境といえます。
主体性保育を進める保育者の中には、子どもに影響を与える最も大きな存在である保育者主導の保育を否定する人も居ますが、私は保育者の発信する魅力そのものが、子どもに与える最も大きな存在であると思っています。
ですから発信する保育者の『〜がやりたい!これして遊びたい❗️』をドンドン子ども達に見せつけるべきであると思っています。
『〜する者この指とーまれ❗️』の保育者が行う主体的な遊びの発信力が、子どもの主体的な活動の手本者となるのではないかと考えています。
そして次に来るのが、物的な環境となります。
一般的な保育所の環境構成として注目されるのが、保育所内の部屋の動線や家具や遊具の配置になりがちですが、保育所保育指針では幼児期において自然の持つ意味の大きさが示されています。
『自然の大きさ、美しさ、不思議さなどに直接触れる体験を通して、子どもの心が安らぎ、豊かな感情、好奇心、思考力、表現力の基礎が培われることを踏まえ、子どもが自然との関わりを深めることができるように工夫すること』と述べられている事から、私達保育所の様な都市型の地域性を持つ保育所の子どもにとっては、自然と触れ合う事の環境構成をすることが最も重要な点と言えるかも知れません。
昔から『子どもは風の子』と言われている様に、子どもは外で遊ぶ姿が自然な姿といえます。ですから私達保育者は、子どもたちが外で遊びたい❗️と感じる魅力的な外遊びの環境構成をして行きたいと思います。
そして3つ目が社会的な環境となる訳ですが、この点も保育所保育指針を見てみると、地域の伝統文化や遊びに親しんだり、異なる文化に触れる活動に親しんだりすることも進められています。
保育所の地域性や魅力的な行事に触れることを環境構成として取り込むことにより、子ども達の『〜参加してみたい❗️』と言う意欲を引き出す事ができる様になるかも知れません。
教え過ぎず失敗の経験も認める
主体性保育が(1)と(2)の条件付けによって始まり、子どもが魅力的な遊びを始めた後、その遊びに集中し遊び込む状態になるためには、その後の保育者の関わりがとても重要なポイントといえます。
(1)で紹介した魅力的な保育者の遊びの発信も、その遊びの主体が保育者に存続し続けたのであるならば、子ども主体の保育とはなりえません。
また、保育者が設定した環境構成で子ども達が主体的に遊び始めたとしても、指導やアドバイスが過ぎてしまえば子どもの主体は失われてしまうかも知れません。
ここで大切な事が、子どもの遊びを見守ると言う姿勢です。
私たち保育者が主体性保育を進める事の大切な目標は、この保育を通して保育所保育に関する基本原則の中の、保育の目標『子どもが現在を最もよく生き、望ましい未来を作り出す力の基礎を培う』を達成することです。
この保育の具体的な目標は、具体的に6つ示されており、更に『幼児期の終わりまでに育って欲しい姿』の十の姿として指針に示されており、この保育の目標や十の姿は子どもの主体性を引き出していくための非認知能力を育てて行く為に重要なポイントと言えます。
私達保育者は、子ども達のこれらの特質を育んでいく為の大切な環境の関わりを担っていることになるので、子ども達同士の関わりに多くの経験をさせてあげたいと思います。
これらを考えていく上で私たち保育者は、子どもたちが経験する様々な関わりに、先回りして教えすぎたり、アドバイスをしすぎる事により失敗の回避をする事ではなく、子ども達が未熟さゆえに失敗してしまう多くの経験を容認してあげ、見守ってあげる事が務めであると考えます。
まとめ
ここで当園の子どもたちはと言うと、保育者が取り改めて子どもの主体性を伸ばすための特別な保育(環境設定)を行っている事はありません。何もしていなくても、0〜6歳児の子ども達は皆主体性の塊です。
自分の食べたいものを食べ、自分の寝たいときに眠り、自分のやりたい遊びをやり、自分を主張し、噛みつき、喧嘩をし、泣き、笑っています。
他の園を私は見ていないので、なぜそうなのか分かりませんが、それはきっと私たちの保育所には、子供たちに「あれしちゃだめ!これしちゃだめ!」と言うルールが少なく、子どもたちの自由な意思や自由な時間を保障してあげているからではないかと思っています。
まぁ〜ただうるさいと言うだけの特長なのですが、私としては子どもたちがみんな元気で生き生きと活動しており、主体的な生活を送れているのは本当に喜ばしいことだと思っています。
主体性の保育・・・取り改めたそんな保育本当はいらない❗️ただ子供たちの可能性を信じ、異年齢の集団で自然で自由に遊ばせていれば、子どもの主体性は勝手に伸びていく・・・
そんな事を思う今日この頃です。